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まじで真剣に日本の「家」概念と「公共」概念について考えていく必要がある
あと、アーレントはやはりやばいらしい。

趣味の「選択できなさ」とは、趣味集団の「家族」性ということなんだろうな

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結局「レジャー」という概念は「ワーク・ライフバランス」的な発想から逃れることができておらず、レジャー=ライフ=ワークという形態を全く想像できないという所に問題があるような気がしてきた。
シリアスだろうがなんだろうが、「レジャー」概念を基にして「趣味」を考えていくのは、結局後退にしかなっていないのではないか。

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東浩紀と上田洋子が鈴木忠志(利賀で農業をはじめている)にインタビューした後にだべっている動画がシラスに残っていて見ていたんだが、
「ワークライフバランス」は19cの工業・工場的な働き方を前提としているもので、
農業的なものを前提にするなら、「ワーク=ライフ」になるはずだ、という話をしていた。
(たしかハンナ・アーレントに依拠してたはず?)
(落合陽一は「ワークアズライフ」とか言っているらしい、コメントに書いてあった)

最近、ゾンビランドサガがあまりにも良すぎてウケてる

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それは、そもそもそのジャンルとの出会いの問題であり、どんな仲間と出会うかどうかの問題であり、時代のめぐり合わせの問題であり、逃れられなさの問題でもある。
偶然性ともいえるし、必然性ともいえるし、もっと単純に運命ともいえる。業でも性(さが)でもいい。

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趣味の問題も、その「選択できなさ」こそが重視されるべきなんだろうなぁと思うようになってきた。
もちろん選択の自由さがまずは重要なんだが、しかしその中にある「選択できない」部分、にこそ本当の可能性があるんじゃないか。

ブログは西田さんの言いよどみについて。
日本人の劣化云々(誰も責任を取らない、管轄以外のことへ口出しをしない)に対して、どういうスタンスで臨むのか。宮台や東はかんたんにそれを否定し、批判するが、そのような批判はそもそも有効なのか、という感覚は深く同意できる。
ジェンダー問題とかLGBTとかそういうものについては、今後少なくとも今までより正気な方へ向かうことは信頼できるが、責任感の問題などについての絶望感はやはり深いなぁと思う。

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原義と多分ズレがあるが、大道芸・路上パフォーマンスと舞台の関係とかまさにこれだなと思うなど。
開かれた場所で作品を上演することが一般に良いとされがちだが、開くためにすごく閉じてしまう、すごく狭い選択肢しか持ち得ない。
閉じられた場所での上演こそが、実は普遍的なものへと開かれていく可能性を有している。

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シラスの宮台・東・西田の対談
「開かれへの閉じられ」=リベラル(宮台曰く「クソリベラル」)のダメさを指摘し、「閉じられへの開かれ」の重要さ(閉じることによって初めて開かれていくことが可能)をいっていた

plagmaticjam.hatenablog.com/en
「インターネットの問題はそのほとんどが数の問題」
「コメントを主体とするサービスは「数の論理」から逃れようがない」

ここでは趣味とは出てきてないけど、近いあたりにある言葉な気がする。こう思うと、「趣味」って言葉は偏見まみれだなぁ。
そこをひっくり返すためにあえて「趣味」を肯定的に拡大解釈して使っていこう、あえて誤用しよう、っていう関心が「趣味縁」とかにはあった気がするんだけどな。あの本にはそういう活力がないような。

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やむを得ず選ばされている、にも関わらず、好きでやってる「趣味」だと周囲に理解されるという事例。(セレブバイトってなに?)
twitter.com/my_my_me_mine/stat

「隣の家から響いてくるピアノの音」(「世界で最も美しい音楽」)の抒情を再現するためだけの舞台作品

ト書きに、
「演者の脳内に「ーーーー」という声が響く。」
というような指示があり、それを脳内再生することではじめて完成する戯曲(演者だけがその作品を「上演」し「享受」できる)

kaminotane.com/2021/05/21/1454
MMD・Vtuberに関する論考。身体運用の記録化と流通について。こちらも金森修が出てくる。

youtube.com/watch?v=PBgstiuybs
普通の高校の部活でこれをやるらしい
あまりにも軍隊で驚くわ

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。