https://www.amazon.co.jp/dp/4582764150/ref=cm_sw_r_cp_apa_glt_i_EKNVSV9AM5JZ31R5WHWR
スポーツルール学、らしい。ジェイがしたのはこれってことかな。
ジャグリングはやっぱり演者自身が哲学的学究的で良いなと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=7MZhV6t01MI
「劇」の「本質」じゃん。よさで溢れている。
「接続された身体のメランコリー」はドン・デリーロの小説『ボディ・アーティスト』の批評。面白い。小説も面白そう。最終的に主人公が実際に舞台で身体を使ったパフォーマンスをするみたい。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AD/dp/4480428348
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3555
読んでいる。『触れることのモダニティ』の高村峰生の新刊。
伊藤亜紗といい、「触覚」は一つ最前線だなぁ。
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1387753247889264645?s=19
こういう公演、というか企画、面白いのでは
「アーティストの人は、どうしてもファンをドメスティックに囲い込むことになるわけじゃないですか。
論考で女性アイドル産業に少し言及していますが、全くパブリックでないことを、何も気に留めてないのが日本のアイドル産業だと感じます。でも、握手券をつけるつけないみたいなものと、椎名林檎の囲い込み方は大差ないように思う。彼女のオリンピックへの参加のニュースを聞いたとき、真っ先に「ドメスティック」を感じました。一緒くたにしてはいけないけれども、椎名林檎のやっていることもパブリックに開かれていない。」
「大衆文化、ポップカルチャーの面白さは、様々な欲望が交差するところにあるし、そこで「パブリック」は生まれると思うんです。単なる大衆の声の代弁ではない。今はパブリックでないドメスティックな歌詞で、我々大衆を映してしまっている。その変化が、歌詞における「写真を撮る者」の消滅に表れている。」
今、日本のカルチャーで「公」と「私」を語ろうと思うとこういう議論になるのか。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/sachi-nishimura/13905