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4月
補佐員の毎日の仕事がなくなり、生活がまた若干不規則気味に。今年度からは芸大での事務担当非常勤講師。雑用担当ということで、諸々仕事はありつつ、そんなに忙しくはない。大学側としては必要なんだろうが、こちらとしてもわりとありがたい立場。授業補佐もオンラインなので、土日がつぶれはするが大変ではない。
学振の書類関係でごたつき、かなり先生・大学関係に迷惑をかけることに。事務関係はだいぶ慣れてきたと思っていたがなかなかまだ読めない部分があるっぽい。むずい。結局4月中はこれ関係に相当に時間をかけ、大会の準備も不十分なままだった。
大学院には新しいメンバーも参加。研究室関係の雰囲気も少し変わるなど。研究室でのOBの扱い方に問題があったので、提起して若干の制度改正をしてもらうなどのこともあった。
二本目の論文が『国語国文』に載る。いままで関わりのなかった京大の国文学系の人ともごく細いがつながりができる。彼女も初論文が出て、今思うと良い年度のスタートだったのかも。
このあたりで森博嗣を少し読んだりしていた(遡って三月には三体を読んでいた。)。

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3月
JUGGZINE合宿(3/2-3)。どうもジャグリングと離れ気味で十分に身に入らない感じではあったけど、それくらいで許される空気感が良いよね、という感じ。寺に行ったのも含めて良かった。寺とかに行ったときに「専門家」っぽい振る舞いが試されるような、それをすると嫌われるような、なんか難しい。
京都の某所から先生を通じて公募を受けないかとの連絡があり、面接。ほぼ内々での採用決定枠だという話だったが、実は複数人に声をかけており、落ちるという話に。めちゃくちゃ行きたいでもないが、せっかくの機会だからと覚悟したのに行かないということで、何がなにやら。先生にむしろ申し訳ない感じ。意味もなくダメージがあり、嫌な件である。
レイチェル宅でのご飯会(3/10)、いまひとつこういう場のふるまいも不明。新しい家での生活だ~という感じでどうも不思議でしかなく、よくわからない。幸せそうでよいこと。
6月の大会報告に向けての準備が始まり、わりとそれに時間と気持ちがあ取られていた時期のはず。準備会が3/31。3/29で補佐員の仕事は終了。研究室に明確な席と役割がなくなるということで、若干さびしくはある。

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2月
彼女が半月強ほど帰国。東京の研究会で報告(2/3)して、おじさんに非論理的な詰め方をされ非常に不快。批判自体は支離滅裂だったが、内容が十分に詰めきれていなかった点はたしかだったので、報告内容はお蔵入り(1月はわりとこの準備で忙殺されていた)。香川でイベントに参加、ほっしぃと会うなど。直後に研究と関係のない用事があったのはわりと良かった気がする。なんやかやでJUGGZINEのnoteを落としていて申し訳ない。

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多少は一年の振り返りでもしたい。
1月
年度末までは教務補佐員で研究室勤務なので、四日から勤務。やまかみさんの練習会開始がたしかこのころ?桂に練習にいっている。年末あたりから有栖川有栖にちょっとハマって読んでいた。

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年々時間の感覚がなくなっていってよろしくない。
今年は短かったような気もするが、六月とかははるか昔という感じもする。日記などをつけないと区切りははっきりしなくてよくないのかもしれない。

「要するに、プラットフォームの強すぎる力というのは、人間を恐ろしいほど低コストにほんの少しでも世界に関与させる力、正確にはそのことを可視化して、実感させる力です。」
note.com/wakusei2nduno/n/n26fc
うむ

自分がかわいいだけだろっていう人はこだわってるポイントはよくわかるが、まぁ。
こだわりばっかり強くて他との対話ができていないタイプはわりと多い。読解に難があって面倒ではある。

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研究にもある種の異常な偏執が必要。
めちゃくちゃ頭の切れる、論理的な論文を書いてる人でもあんまりこだわりを感じられないタイプの研究者は結局研究史上大きな足跡を残せない。一回りくらい上の研究者たちはどうもみんなどこにこだわりがあるのかよくわからない。

集団を論じうる手法が近世史研究ではかなり成熟してきており、その点ではいまこの時代に歴史学に携わることが出来て非常に幸いだという感じもある。
少し前ならもうちょっと苦労した気がする。

これは、この世界にくる前には全然知らなかった。

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juggling-mstdn.net/@jehok/1135

先日のポストは、同時代の共同体的で極めて具体的な「集団」の問題(実証的な歴史学のレベル)と、時代超越的で抽象的な「集団」の問題(ある分野をつきつめたときに時代を超えて対話が可能になるような問題、ある文化によって触れうる真理の問題、文化特有の文脈と語彙のレベル)との擦り合わせをいつかしたいということ。
いつ明晰に論じられるようになるだろうか。

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結局根っこのところで「集団」に関心がある、という点は変わっておらず、このことをどう研究史との関係の中で論理的に打ち出すか、で迷い続けてきた時間だったのだという感じがある。

※あんまり論文体の文章を考えるのには向いていないな。やっぱりTwitter的なフォーマット(UI?)は「気持ち」を書いて整理するのに最適な感じがする。思いつきは書きやすいけど、考えを整理して決定版的にキレイにまとめる作業には向いてない。そういう決定版なんて不要だ、ということに千葉雅也的にはなるんだろうか。

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しかし、そのような視角では、思想家や学者が実際にどのような社会で生きていたかがはっきりしない(ここは全然うまく書けてない)。※思想と社会の関係の問題を、思想の流通する場・メディアに着目して解決しようとした。別の方法の模索をしたい。

問題は、思想家・学者という個人と社会とを一足飛びに結びつけて論じようとする構えにある。そうではなく、中間団体としての社会集団に注目すべきではないか。それぞれの個人が集団にどのように包摂されているのか、そしてその集団が他の集団とどのような関係を有しているのか。

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序論考え中

これまでの思想史の研究でも、思想と社会、あるいは思想の担い手と社会の関係は問われてきた。その問いの中で、教育や書物などといった思想を媒介するメディアが注目され、一定の成果があがってきた。

「第一義的」という表現について少し調べたら面白いのをみつけてしまい、時間をロスしてしまった
obiekt.seesaa.net/article/9727

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。