人のコップの持ち方をインストールするという経験、素晴らしくジャグリング的で、素晴らしく親密なコミュニケーション。
そしてこれは実際に対面しなくてもできる。ZOOMでもできてしまう。
技術にジャグリングの本質がやどっているとはこういうことである。
コップがいかに多様であろうとも、手がいかに多様であろうとも、持ち方の多様性は有限で、おおよその場合はなんらかの真似の仕方がありうる。そこに宿るコミュニケーションがジャグリング的なそれ。見る/見られるは方法にすぎない。もちろん触って伝授しても、言葉で伝授してもいい。しかし、今のジャグリング文化の興隆は動画によって視覚的な伝授が簡易化したことにまずは拠っている。
道具の問題と身体の問題を踏まえて、技術の問題を改めて考える、という今回の論は、結局のところ、10年代後半の二つの事件への僕なりの回答である。が、それだけでなくまた、技術革新こそがジャグリングの魂だとごく素直に思っていた、舞台へと向かう以前の素朴なジャグリング観のアップデートでもある。
その一部にあたるのが、岡本てるきであり、宮野あきらであり、ピントクルだったと思う。青木くんも。山村ゆうりにはジェイの問題は薄いかもしれないが、ないことはないはず。
この衝撃とはほぼ無縁に舞台表現へ向かった人たちも無論多数いたが、当時はこの差が今ひとつ把握されていなかったので、シーンが混乱していたような印象がある。混乱したまま舞台の熱気が収まってしまった。
舞台表現へと向かおうとしていたジャグラーのうち一部は(一部だけだが)、この二つを正面から受け止めようとして(受け止めきれたかはともかく)、意識的・無意識的にかなりの軌道修正をすることとなった。
ジャグリングの本質とは何か?という問題が、舞台でどう表現するか?よりもずっとずっと重く切実で切迫したものになった。
@miyamonz あれはちょっと重すぎたよね。持ちやすい複雑関節系のものつくってくれ!欲しい笑。
@miyamonz 実は。難度高いけど、操作できたらほんとうに体の一部になってしまいそうな感じがとても良い。
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ピントクル史上、一番好きな道具はやっぱこれだな。。。笑
@miyamonz おおおおお!!いいね!!!