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youtube.com/watch?v=kff_DXor7j
まっすぐなポップソングが本当に重要な意味を持つ時代。歌詞がすごくまっとうで良い。。。

三浦雅士の『身体の零度』は思ったより良い本だったのかも。読み直そう。

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「動作は簒奪できない」はまじで強い。おもしろいな。
しかし、そこをむりやりに簒奪するのが、まさに暴力であって、それを全面的に行使した最悪な存在がすなわち近代の国民国家なんだよな。

jehok boosted

体の動きは圧倒的に個人的なもので、誰かに影響を受けることも、与えることもできるけど、むりやりに意図を捻じ曲げてしまったりはなかなかできないんじゃないか。
つまり、動作は言葉と違って「簒奪」することが難しいんじゃないか。対話も難しい。瞬間瞬間、個を崩壊させなければ、変容がそもそもできない。

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そこに勝敗なんてあるわけねえんだよなぁ。
しかし音にも体にも道具にも時代につれての変化がある。ただし本質も良い/悪いもない。

単に音と体と物がある。それは文化なのか、って言ったらやっぱり文化ではあるんだろう。

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やっぱ、音楽にノッてる体のことを、生産と消費の枠組み(作品とかオリジナリティとか観客がどうとか)で考えるからふざけたことになるんだよなぁ。

技術もアートもエンタメもジャグリングの本質も、それの前ではどうでもよいっちゃどうでもよいんだよなぁ
人生ふざけた寄り道ばっかりだ。楽しいが。

10代のころに、一番これに近い!と思ったのが康本雅子で、それがコンテンポラリーダンスだとかいって紹介されてるのが悪い。いとうせいこうのせい。

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やっぱ結局、「ロックをジャグリングでやりてえんだ」、ってのが、僕の興味関心の核部分なんだなぁというのを最近再認識。
10代20代の時にロック流行りすぎててわかんなかったよな。

「ロックの音(ドラムが大事)を聞きながら、ボールと一緒に体を動かす」がしたいのであって、ロックをdigるのもフェス行くのも微妙に違うし、多分自分が音楽やるのも違うと思う。

「私は、大道芸フェスティバルは文化センターのある町でしかやりません。高円寺の場合は、座・高円寺という劇場があってそこの館長の斎藤憐さんが三軒茶屋の大道芸を見て、ウチでもやってください、というので引き受けました。座・高円寺がなかったら、私はいくら頼まれてもやりませんでした。
 つまり、アートの流出口が必要なんです。基本的には<ここ(劇場内)>の情報が<こっち(町中)>へ流れ出て、また劇場に還っていくという構図だと考えています。私が言っている大道芸は、例えば劇場、テント、スタジオなど、さまざまな芸術表現が行われている場所で行われるべきものを外で行うということなので。ですから、劇場に収まりきれないものは別として、還っていくべき劇場がある町でしかやりません。」

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ひとまず一つ終わった。今月はまだ山が二つ三つあるわ。

「年表を作るのは本当に地雷で、作った時点で全人類が敵になり延々と突っ込み入れられるみたいな雰囲気がある。」
cocolog-nifty.hatenablog.com/e

壊れかけの物を集めて、ジャグラーに扱わせる企画、ありでは。
「壊れかけ」の時にだけ存在する物体の特徴をつかむ実験。
(禁則:壊すために物に関わってはいけない)

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。