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シンプルな上手さ志向という派閥もあって、これはまた四つとは全く別のもの(だがすべてを圧倒する強度と説得力がある)。
ウェスはとにかく、ほぼどこから見ても魅力がある。やばい。

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技術/舞台(サーカス)/道具/身体の四つの軸があって、舞台の熱気はこれらがまぜこぜになってカオスをつくっていたんだな。
社会人ナイトとかイアコットとかは、エンタメ志向を表向き装いつつ技術をやっていた。僕も心情的にはこれが好きだったな。

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僕は一番出来損ないな感じがある。ピントクルはやっぱり団体でそこにいたから強度があるんだな。

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ジェイと渡邉の間で、、、って考えていくと、やっぱり丹くんとか宮田さんとか小林さんとか目黒さんもか全然別世界なんだよな。ハチローさんも小辻さんも。
そこに小さな(小さすぎる)シーン内シーンがある。渡邉尚自身も外側にいる。

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道具も身体も本当はそれぞれみんな異なっているという、質の問題の認識がここで重要になってくる、と思うのだが、今一歩解決策がみえない

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JJFや技術革新の世界は確かに面白かったし、交流も濃密ではあったが、しかし価値基準が単線的すぎた。うまい/へた、新しい/古いという基準が強すぎる。
本当の魅力は、新しい技術の登場ではなく、技術の交流それ自体であると主張していきたい。交流促進の方法として新たな技術の登場というのはとても分かりやすいのだが、単純に新しいものは出てきづらいのでジリ貧になってしまう。

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ピントクルからする10年代後半の総括です。

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道具が無限に多様であること、身体もまた無限に多様であること、この二つが舞台という経験を通じた副産物的な成果物なんだと思う。
その無限を踏まえることではじめて、技術という有限な多様性が真の意味をもつ。

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舞台という形式はことジャグリングにおいては、動画を通じた濃密な交流(時間と労力をかけて技を真似するという交流)を恐ろしく薄く希釈(時間的にも労力的にも)してしまい、観客と演者という断絶をつくりだしてしまったという点で、ほとんどデメリットしか生んでいない可能性すらある。
同じ場所・時間を共有するのが濃密な交流だなんて錯誤も甚だしい。

ウェスと青木康明がどこまでいっても正しい。
しかし、舞台の熱気と、ジェイ・渡邉の衝撃と、村上翼の衝撃が入り混じってる10年代半ばは本気で半端ないな。

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動画を使って技を解析して真似をするという営みにこそジャグリング的コミュニケーションがある。そこにしかないまである。

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そこで改めて動画というものの力をちゃんと信じてやる必要がおそらくある。
技動画こそが本質。

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人は孤独でこそ「もの」と向き合えるのだとして、それを人に伝える方法は何か?という真っ当な疑問を先週突きつけられたんですが、その答えが、こういう本質ジャグリング的なコミュニケーションによる伝授ということになります。

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好きな人の物への関わり方を、自分の体で実践するの、なんだか官能的にすぎるな。

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人のコップの持ち方をインストールするという経験、素晴らしくジャグリング的で、素晴らしく親密なコミュニケーション。
そしてこれは実際に対面しなくてもできる。ZOOMでもできてしまう。
技術にジャグリングの本質がやどっているとはこういうことである。
コップがいかに多様であろうとも、手がいかに多様であろうとも、持ち方の多様性は有限で、おおよその場合はなんらかの真似の仕方がありうる。そこに宿るコミュニケーションがジャグリング的なそれ。見る/見られるは方法にすぎない。もちろん触って伝授しても、言葉で伝授してもいい。しかし、今のジャグリング文化の興隆は動画によって視覚的な伝授が簡易化したことにまずは拠っている。

本質は道具でも身体でもなく技術にこそ宿るんだ、って主張は、多分きっとウェスの思想そのものなんだろうなと思う。

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ジェイ・ギリガンと渡邉尚を両睨みしつつ、ジャグリングの本質を考える、という至福の時間があったことを共有できるのは誰までなんだ。

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こうやってすぐにエモくしようとする。

道具の問題と身体の問題を踏まえて、技術の問題を改めて考える、という今回の論は、結局のところ、10年代後半の二つの事件への僕なりの回答である。が、それだけでなくまた、技術革新こそがジャグリングの魂だとごく素直に思っていた、舞台へと向かう以前の素朴なジャグリング観のアップデートでもある。

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その一部にあたるのが、岡本てるきであり、宮野あきらであり、ピントクルだったと思う。青木くんも。山村ゆうりにはジェイの問題は薄いかもしれないが、ないことはないはず。
この衝撃とはほぼ無縁に舞台表現へ向かった人たちも無論多数いたが、当時はこの差が今ひとつ把握されていなかったので、シーンが混乱していたような印象がある。混乱したまま舞台の熱気が収まってしまった。

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ジャグリング丼

ジャグリングに興味ある人が集まって、わちゃわちゃできたらいいなって思って。